エナギーヴェンデの歴史

チェルノブイリ – 徐々に現れはじめた変化

1986年、チェルノブイリの原子炉が爆発し、放射能雨がドイツに降った。ドイツ人は原発の安全性に不信感を抱いたが、原発に代わる電力を確保する方法が分からなかった。

1986年、チェルノブイリ(ウクライナ)の原子炉が爆発し、欧州全土の環境放射能レベルが急上昇し始めた。旧ソ連は当初事故を公表しなかった。ドイツ人は、子どもを外で遊ばせるのは危険だとラジオで聞いた。ドイツの技師や政治家は、チェルノブイリは偶然の事故で、明らかにソ連の技術の低さによるものだと国民に言い続けたが、原子炉の安全性に対する国民の信頼は史上最低に落ち込んだ。何年にもわたりドイツの技師と政治家は、ドイツの原子力発電所は安全でチェルノブイリのような事故はドイツでは絶対にあり得ないと繰り返し主張した。メルケル首相の連立政権が最後にそう主張し たのは2010年の8月。その後1年も経たないうちに福島の事故が起こり、メルケル首相は考えを変えた。

それでも、1986年の問題が問いかけたのは、どのように原発に代わる電力を確保するかということである。1980年の『エナギーヴェンデ』の刊行から、ドイツでは実際に何も変わっていなかった。太陽光発電はやはりコストがかかるため、主としてNASAが大気圏外で利用していただけで、それも、系統接続がない場所で少量の電力を供給するだけだった。1980年代初頭に、風力発電が幸先のよいスタートを切ったが、風力による電力の割合がカリフォルニアで1%になった頃、レーガン政権の政策変更によって風力発電市場は崩壊した。1980年代後半、デンマークだけが風力発電を大幅に拡大していた。デンマークの風力発電機メーカーはカリフォルニアの最初のプロジェクトの主要な納入業者だった。